第9回をはじめます。
いつものように、Q&A2025年度から。
前回は、これまで福祉調査として貧困調査や家計調査を見てきましたが、貧困対策について、現在の取組にから見ていきました。気になる記事があれば、見ておいてください。貧困対策
つづいて、アメリカの発展に伴う人口の推移を確認しました。
アメリカ都市別人口推移(1900〜)(アメリカ大陸30000km)を見ると、1900年から2000年までの千年でどのように人口が推移したのかがわかります。
ヒューストン、シカゴ、デトロイトの人口推移を見ると、1900年から1950年にかけて、爆発的に人口が増加し、そこから成長型都市、復活型都市、衰退型都市と3形態に分かれていったことがわかります。
つづいて、それぞれの都市の位置関係を見ていきました。
地図1では、地図の右上、北東のボストンから、海に沿って、南西にニューヨーク、フィラデルフィア、ボルチモアとつづきます。
地図2では、ニューヨークから西へ、デトロイト、ミルウォーキー、シカゴが見えます。湖を挟んでカナダのトロント、オタワと、カナダとの国境に位置するのがわかります。
地図3、少し南に移動して、シカゴの南にセントルイス、インディアナポリスが見えます。
右側(東)に目を移すと、ワシントンDC。
地図4は、さらに西側にたどります。
セントルイスから南下すると、ダラス、ヒューストンが見えます。
そこから左(西)にフェニックス、サンディエゴ、ロサンゼルス。
シカゴからロサンゼルス(LA)をつなぐ国道として使われていた、ルート66も確認しました。
歴史や地図を確認して、アメリカの北東から入ってきた人たちが、西部へと移動していった経緯を見てもらいました。
つぎに、1920年前後のアメリカの話でした。アメリカの歴史-1920年代まで
1920年代以前は、調査費用が貧弱でした。
親方や職人のような1人の中心人物の個人的興味や着想に基づく仕事を1~2名の助手(弟子)が助けるかたちで進められました。
秘伝的性格を帯び、入念ではあっても正確性や信頼性に欠ける調査方法でした。
1920年代に入り、実証的な性格への社会学として、これまでの成果と心理学実験の技術を取り入れた学術調査が行われました。
ホーソン実験(1924−1932)もその1つです。心理学や経営学を学ぶ際、よく話される実験です。
アメリカのシカゴ郊外、ウェスタン・エレクトリック(WesternElectric)社のホーソン工場における実験です。
好景気を背景に親会社からの発注など大量の注文をさばく必要性が生じ、 作業能率・生産能率を上げるためにも科学的管理法の実証を行う必要がありました。
人間を部品のように扱っている非人間的な管理方法から、科学的なアプローチで人間の感情に配慮することが重要であることを明らかにしたことは大きな発見でした。
今回もつづきます。
生産性の向上は、企業の重要な目標ですが、人材を育成・管理する人々にとって、ホーソン実験が示したことは、とても重要です。
しかし、企業や経営者は、この実験結果を受けて、従業員を大事にしはじめたわけではありませんでした。
たとえばチャップリンの映画「モダンタイムズ」が公開されたのが1936(昭和11)年でしたが、工場労働者をモニターで監視する管理者が出てきます。
また、1973(昭和48)年には、GMのローズタウン(Lords town)工場で、最新鋭のオートメーション生産システムが導入されましたが、単調さを嫌った工員がストライキを行い、ローズタウン症候群(オートメーション労働拒絶症)という言葉も生まれました。
ファンタスティック・ビーストはその時代の風景をイメージするのに役立ちます。
- ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 (wikipedia)は、1926年、イギリスからアメリカへ渡る話
シカゴ(ブロードウェイ・ミュージカル)も1920年代のお話で有名です。
アメリカ(ブロードウェイ)の作品としては歴代1位のロングランを誇り、世界36か国・500都市以上・12言語で上演されているメガヒット・ミュージカル。実話に基づいた二人の悪女によるスキャンダラスなシンデレラ・ストーリーは、奇しくも人々の共感を生み、「オール・ザット・ジャズ」など、名曲揃いのミュージカル・ナンバーと、鬼才ボブ・フォッシーの振付を体現するセクシーな衣装に身を包んだ超一流のダンサーたちは、世界中の観客を魅了している。
ブロードウェイミュージカル 「シカゴ」来日公演2024(東急シアターオーブ)
大恐慌は1929年10月24日に起きたニューヨーク証券取引所での株価暴落(暗黒の木曜日)をきっかけに生じました。
- 世界恐慌(大恐慌)とは?なぜ株価が大暴落したのか・原因と日本への影響・各国の対策 (Spaceship Earth)
ここからは、以下のように、1930年以降の話です。
リンド夫妻「ミドルタウン」(1929)
『ミドルタウン』 Middletown: a Study in Contemporary American Culture (1929) 、『変貌のミドルタウン』 Middletown in Transition: a Study in Cultural Conflicts (1937) の2著は、参与的観察による研究の代表的事例です。
異文化の世界からやってきた訪問者のように、ミドルタウンを可能なかぎり局外者的立場で観察し記述する、文化人類学的手法によって都市社会をとらえています。
リンド夫妻(H. S. LYND & H. M. LYND)が、1920年代後半と 30年代後半の2度にわたって、アメリカの中西部インディアナ州の白人を中心とする同質的な小都市マンシー(仮称、ミドルタウン)を調査した結果が報告されています。
ちなみにシカゴをはさんで西に位置するウィスコンシン州は『大きな森の小さな家』で有名なローラ・インガルス・ワイルダーが、1867年に生まれた場所です。小さな丸太小屋で生まれたと言われています。
『大草原の小さな家』の世界について 谷口由美子(東京都立図書館)
1922年、ロバート・リンドは社会宗教調査研究所からアメリカのプロテスタント教会を強化し、統一するための科学的宗教調査であるスモール・シティ・スタディ(小都市研究)プロジェクトの主任に任命されました。
1924年1月、妻ヘレンが基礎調査に合流し、18ヵ月間にわたり本格的に調査研究しました。
そこで用いられている調査方法は,質的な参与観察法を中心に, それに加えて,量的な質問紙調査,インタビュー調査,文献資料分析,統計分析といった多岐にわたる方法が組み合わされていて、マルチ・メソッド調査の典型になっています。
1890年代の古き良き中西部の小都市の生活が, 1920年代にどのように変化したのか。実際に1929年の恐慌をはさんで、この地方都市にある地元の財閥が、その都市を支配していく社会変容の過程、すなわち中小都市が独占資本によって系列化されていく過程が、住民の生活様式の変容を通して把握されています。
また、地方都市の住民を調査する際に、住民一般という形で生活と行動を調べることはあまり意味がなく、職業をビジネス・クラスとワーキング・クラスの2階級に分類しなければ、その生活と行動の違いを記述できないことをこの研究が実証しました。
さらに、従来、地域住民の価値を支えていた勤勉、努力、業績、成功といった宗教倫理に根ざした近代資本主義のエートスが幻想でしかなかったことも、変動する社会事実のなかで明らかにされました。
コトバンク-ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ミドルタウン」の解説から一部引用
エートスとは、
「経済倫理」「宗教倫理」、より広く「精神的雰囲気」などと訳出されている。その意味するところはまず、なんらかのあるべき姿をさし示す「倫理」 ethicsとは区別された、本人の自覚しない日常的生活態度であり、また「激情」 pathosとも対立的なものである。日常的生活行動や生活態度を最奥部で規定し、常に一定の方向に向わせる内面的原理を意味する。エートス – コトバンクから引用
参考:ロバート・リンドー調査の達人(社会調査協会)
ちなみに白雪姫(Snow White and Seven Dwarfs)も、同じ年の1937年、ウォルト・ディズニーが最初に製作した世界で最初の色彩長編アニメーションです。
ディズニーが4年の歳月と170万ドルという当時としては空前の製作費をかけた大作で、アニメーション史上のエポックをなす作品です。
グリム童話にもとづき、美しく心やさしい白雪姫に7人の愉快な性格を持つ小人たちを配し愛の尊さを説いています。
フランク・チャーチル作曲の主題曲は8曲あり、中でも小人のマーチ『ハイ・ホー』は大ヒットしました。
戸田貞三「家族構成」(1937(昭和12)年)
日本では、1920年第1回国勢調査から約1万世帯分の調査票を抜き出して、家族構成のタイプ分けを行った、戸田貞三「家族構成」(1937(昭和12)年)が有名です。
第2次世界大戦前の国勢調査個票の分析が、社会調査結果の学術的分析の先駆的な業績とされています。
日本では、直系のみの家族(世帯主の親、子、孫)だけでなく、傍系家族(世帯主の兄弟なども構成員とする家族)も多いといわれていました。
分析の結果、傍系家族は1割にも満たないことがわかりました。また、世帯主夫婦とその子どもという2世代家族が5割以上、 世帯主単独、あるいは世帯主夫婦のみを加えると約70%以上に上っていました。
1920年代(大正時代)の半ばでも、小家族が中心の社会であること。結婚年齢の上昇もあり、すでに日本の家族の80%以上が核家族であることを突き止め、家族形態は夫婦と未婚の子どもによって構成され、一部、2世帯住型の直系家族傾向も持っているとしました。
調査の時期
ちなみに、1930年代は調査の時期と呼ばれています。
1930年代以降 オグバーン(William F. Ogburn)を中心に、量的調査が行われ、シカゴ大学が推進役となってきました。現在、シカゴ大学に国民世論調査センター(NORC)が置かれています。(参考:シカゴ大学(アメリカ留学ランキング-栄 陽子留学研究所))
1940年代になり工場制工業的段階になると、数名ないし数十名の研究者による共同研究が進められていきます。
正確性・信頼性のある一般化された調査方法がとられ、調査の段取り・手法の標準化がなされます。
また、大恐慌から復旧し始め、比較的巨額な調査費用をかけられるようになってきました。
社会心理学の分野では、本能論衰退後に行動主義の説が盛んになりました。
実験的研究を促進するほか、行動に及ぼされる後天的な習慣や環境要因の重要性に注意を喚起し、1930年代以降実験的手法を用いての社会行動や集団内行動の心理的諸過程の研究がすすめられました。
シェリフ(M.Scherif)の社会的知覚、J.L.モレノのソシオメトリー、グループ・ダイナミクスにつながる、K.レウィンの集団行動の研究などが新生面をひらき、S.フロイトおよび新フロイト派の深層心理学が導入され、偏見、権威主義的性格、社会運動などの研究に適用されて成果をあげました。
今日はここまで。